Out of Far East    

アジアの歴史、民俗、言語、暮らし、読書、映画鑑賞など  by ほおのき麻衣

祖父の渡日事情(13)ー「地下」からの勧誘

慶尚北道大邱市に近い山間部で「親日派」の一人として働き始めた父は何かと存在がユニークで目立ったんだと思う。

ある日、下宿先が決まるまで寝泊まりしていた旅館が、夜中に火事で消失するという体験をすることになった。着の身着のままで逃げて命は助かったけれど、自分がさっきまで寝ていた建物が目の前で丸焼けになっていくのを目撃した。

あの時死んでいたかもしれないと語る記憶の一つになっていた。

後になって、父親が地元のKoreanの生徒のための中学校の教師だったという森崎和江の本を読んだとき、あの時の父の火事体験は放火だと認識した。

 

この当時のKorea半島は内地日本と同様、アカの思想や反日イデオロギーの弾圧は厳しくて、そのような活動は表だってできないので、「地下」に潜っていた。

その「地下」活動をしている人から父は数回程度ではなく何回も接触してきて、「自分たちの仲間に」と誘われた。

まだ若いのにこんな日本の協力者のような仕事ではなくて、われわれと一緒にという感じだろうか。

こういう勧誘話の中で初めて「キムイルソン」という名前を聞いたらしい。

「キムイルソン将軍が頑張ってるから」と自分たちの活動に参加するように説得もされた。

この時の父は20歳前後で、この時のキムイルソンは30代前半になる。

父は精神的な苦痛も感じながら仕事をしていたので、それなりに葛藤もあったのかなと思う。

「何度も何度も誘われた」という。

夜遅くに仕事帰りに山道を歩いていた時に、暗闇の中から人が突然出てきた時の恐怖も聞いたことがある。

詳しくは聞いていないが、活動への誘いと関連があったのじゃないかと想像する。

 

父が「地下」活動に加わらなかった理由を私なりに整理すると以下のようになる。

 

① 両親や弟妹が内地日本にいた。

②いわゆるアカの思想なんて知らなかったし、全く興味関心もなかった。どちらかと言えば、情で動くタイプの人間で、自分でも政治的なことは疎かったと語っていた。

つまりイデオロギーや政治的なことに熱くなりにくい気質に導かれた。

③戦中末期、徴兵検査を受けた時に結核を宣告されていた。たまに血痰を吐くぐらいで通常の生活を送っていたが、周囲からはもうすぐ死ぬ人間だと思われていたし、自分でもそう思っていた。

④korea語については何となく何を話しているかは聞き取れたが、全く話せなかった。Korea語を母語として身につけて渡日していないからだった。Korea語ができない人間が、Korea半島で「地下」活動なんてできるはずがない。

父はいかにもKorea語ができそうなのにできない人間だった。

 

というわけで、親兄弟とは別にKorea半島で一人で8月15日を迎えた。

日本にいる親とは連絡の取りようがなかった。

 

しかし、その日父が偶然Korea半島にいたことは、大分県終戦を迎えた祖父が積極的に帰国を考えた理由の一つになった。

帰国してからも大変だったけれど、いい決断だったと日本に残った孫の一人は80年ほど経てあらためて思う。