次の日の3階のホールで行われる映画「日本戰歿学生の手記 きけ、わだつみの声」上映会にも誠一郎は来た。
上映時間まで時間を潰すために、やはり1階のロビーで「ミャンマーの今」写真展を見てすごしていた。上映時間になったのでホールへ上がっていくと、すでに深雪が上映前に映画の説明を参加者にしていた。
映画「日本戰歿学生の手記 きけ、わだつみの声」は東横映画(東映の前身の1社)が1950年に制作した、関川秀雄監督による日本映画である。イギリス領インド北東部の町インパールを目指したインパール作戦の部隊の学徒兵の敗走と回想シーンで構成される。
戦後初の戦争映画で、戦場の最前線での将兵たちの姿を映像として映し出した初めての日本映画と言われ、日本初の「反戦映画」とも言われている。
1947年に東京大学協同組合出版部の編集によって東京大学戦没学徒兵の手記集『はるかなる山河に』が出版されると、後の東映社長・岡田茂が映画化を決意しプロデュースした。
1949年に手記集の続編が『きけ わだつみのこえ 日本戰歿学生の手記』という題名で出版されたので、映画の題名も合わせることになった。わだつみとは日本神話の海の神のことである。
まだその頃はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部、通称進駐軍)占領下の時代だったので、映画は国民に大きな影響力があると判断され、台本の段階から厳しい内容のチェックがなされた。また撮影も全て国内で行われたという。まだ生生しい戦争体験をもつ復員兵も多いころに制作されたもので、1950年制作のこの映画が、ビルマでの戦争の実相を一番伝えているといわれてきた。
「古い映画なので画質や音質の悪いところがあるかもしれませんが、とても貴重な映画で、他所ではなかなか見ることができないものになってます」
と、深雪がしめくくって上映が始まった。
異国のビルマで土砂降りの雨の中、泥沼に横たわる兵士たちの姿。なぜこんなところまで来て戦争をしているのかと問うエリートたち。ほんの半年前までフランス文学を学ぶような学生もいたことに誠一郎は驚いた。
上映が終わった。
この映画は重たかった。しばらく観客は立ち上がれないようだ。
もう夕方になっていた。夏の日差しはいくぶん和らいでいた。
誠一郎は会場で後片付けに追われている深雪の後ろ姿に、
「山崎さん、見かけませんね」
と声をかけると、
「え?……」とふりかえって答える深雪に
「そういえば、きのうもいなかったな」
「ちょっと体調をくずしてしまって……きのうの夜家に電話したらおばからいけそうにないといわれて……血圧が高いんですよ。とくに真夏に出歩くのはねー」
深雪が片付けの手を止めて答えた。
「……そうなんですか」
深雪は映写機やスクリーンを片付け始めていた。
誠一郎は深雪をしばらく眺めていたが、
「もう仕事おわるんでしょ?」
「ええ、今日はもうこれで終わりです」
誠一郎は何気ない風をよそおって「ちょっとお茶でもどうかな? ……山崎さんのこともききたいし」ときいた。
「あ、そうですね」
深雪は手を休めず気軽に即答した。
誠一郎は胸の中に吐き出したいものをかかえていた。