国際交流女性センターに入ると、何の楽器だろうか、今まできいたこともないような弦がはじけるさびしげな音色の民族音楽が流れていた。
誠一郎は別世界にやってきたような感じがしていた。
奥の方では平日なので大勢の女性がつどっていた。男性の老人の姿もちらほら目に入った。年配の女性たちは物品販売コーナーに集まり、華やかな配色の民芸品を手にもって品定めをしている。テーブルセンター、ポーチ、壁飾り、ショルダーバッグ、ペンケースなどが陳列台に並べられていた。ミャンマー(ビルマ)を紹介する書籍も並べられていた。
中央の台にのったガラスケースには竪琴が飾られている。まるで古代の船のような湾曲した形でビルマの竪琴と書いてある。
男性は少なかったが、ほどよく紛れ込める賑わいに助けられて誠一郎は溶け込んでいった。
まずは順路に従って歩くことにした。
最初にミャンマー(ビルマ)についての解説が書かれたパネルが飾られていた。
<【国土】
インドシナ半島の西海岸を占めるミャンマーは、日本の国土の約1.8倍の面積があり、国境は南東はタイ、東はラオス、北東と北は中国、北西はインド、西はバングラデシュと接している。
国土は北部が高く、南部が低い地形であり、西部には3000m級のアラカン山脈が南北に走る。東部はラオスやタイにつながるシャン高原が広がっていて、サルウィン川が南流している。中央部にはイラワジ川とシッタン川が南流し、下流部には大デルタを形成している。
このイラワジ川の最大の支流がチンドウィン川である。チンドウィン川の流域は森林に覆われた山岳地帯で、インドとの国境に近い。
気候は熱帯性季節風気候であり、雨季(5月ー10月)と乾季(11月ー4月)の別が明瞭である。特に、ミャンマー独特の激しい雨はよく知られている。
【言語、宗教】
人口の6割をビルマ族が占める多民族国家で、公用語はビルマ語である。
宗教は住民の大半が、仏教の分類の一つである上座部仏教(じょうざぶぶっきょう)を信仰していて、東アジア、チベット、ベトナムに伝わった大乗仏教とは歴史的過程が違う。
【歴史】
19世紀に三度にわたったイギリスとの戦争で、それまでの王朝が滅びた後、イギリスの植民地となった。第二次世界大戦中に日本の占領を受け、ビルマ国としてイギリスから独立したが、日本の敗戦で再びイギリスの植民地に戻った。
1948年ビルマ共和国として独立。
1962年のクーデターで、ネ・ウィンの独裁政権となり、1974年国名をビルマ連邦社会主義共和国と改名。
1988年には民主化運動でネ・ウィン体制は崩壊した。その後、ミャンマー国軍が再びクーデターで軍事政権を設立して、国名をミャンマー連邦に改名した。>
ミャンマーとビルマという二つの国名が現地点で存在する複雑な歴史的、政治的背景に、誠一郎は向き合っていた。かつて日本でビルマという慣れ親しんだ呼称が、ミャンマーにとって変わりつつあった。