Out of Far East    

アジアの歴史、民俗、言語、暮らし、読書、映画鑑賞など  by ほおのき麻衣

夫婦の葛藤 ビルマ慕情(6)

 誠一郎が妻恵子に早期退職を考えている胸中を語った夜から、一週間がたった。夫婦は再度話し合いの時間をもった。

「定年前にMID Jajanをやめるなんて……人が聞いたら笑うわ。これから幸子や徹を大学まで行かせようと思ったらどれだけお金がかかるか……それにこの家のローンもあるし」

 恵子は家の購入のことに触れると、自分が強気になってローンを組んだだけに分が悪い。

「学資保険もあるし、すぐに再就職できるよ」

 誠一郎は恵子をなぐさめた。

「どうしてあなたが辞めなあかんの」

と言って、恵子は再び電卓をたたいている。

 結婚当初から几帳面に家計簿をつけていてきちんとした性格だった。今住んでいる家の購入にあたっても、かなりの金額を頭金にできたのも妻の日々の努力のおかげだった。誠一郎よりも恵子の方が家の購入を強く希望していたこともあるが、このぐらいは出せると提示した金額は誠一郎の想像を超えていた。

 パート勤務を始めたのもこのままでは足りなくなることを見越しての決断であった。結婚当初は自分がパート勤務をするなんて想像していなかったはずだ。

 派手なことは好まず、家のことは一切任せることができる頼もしい妻であった。誠一郎は感謝していた。

 しかし、社内で抱えているトラブルの責任を取らされるかもしれないことを、妻と共有するのは難しい。社内での競争や軋轢などで苦しんでいることなど恵子には想像がつかない世界だ。誠一郎も家には社内でのことを持ち込まないようにしていた。

 はた目には一部上場企業に勤めていて、親戚や恵子の両親から頼もしく思われ大事にされている誠一郎だった。そんな会社を定年前にやめるなんて、誰が見ても正気とは思えない。正気でないことを具体的に考えざるを得ないほど、誠一郎は社内で追い詰められていた。

 しかもふりかかってきた問題の責任を、人のせいにすることなんてできない性格の優しさと弱さを根っこのところでもつ人間だった。

 実は、誠一郎は早期退職を来年の春とすでに決めていたので、会社への意思表示も近々するつもりにしていた。しかし、恵子にははっきりと口に出すには時期尚早と判断した。

 

「君は優しい人間やな」

とかつて誠一郎を買ってくれていた上司から酒の場でしみじみ言われたことがある。

「ここぞと言うときに弱気になってしまうところがあるなあ。そんなんではMID Japanで生き残れんぞ」

 誠一郎はただ黙ってグラスを傾けながら上司の助言を聞いていた。その上司は数年前に栄転で東京本社に移ってしまった。当時は後ろ盾を失ったような寂しさを感じたものだった。