誠一郎は同期入社組の中で、一番出世が遅れていると見られていた。
彼らはバブル景気が始まると、早々と課長職、次長職を昇りつめていた。
バブル景気。
一般的には1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までに日本に起こった、資産価値の上昇と好景気およびそれにともなうさまざまな社会現象をさすことばである。
当時新聞の経済欄でこのことばは踊っていた。
誠一郎はこのバブル景気がはじけと言われ始めたころに課長昇進となった。
ところが会社自体はその頃から水面化で業績が悪化し始めていた。バブル崩壊の波が静かに会社にも誠一郎にも近づいている。
「課長、部長からです」
部下の女性が誠一郎に内線電話をとりつぐ。
誠一郎が受話器を取ると、部長から会議室にくるようにいわれた。
誠一郎は目の前の資料の山から目的のファイルを取り出して、近くの女性社員に声をかけておいて会議室に向かう。
部長と次長との打ち合わせで1時間ぐらいたった。
誠一郎が疲れた身体で会議室から出て席に戻ろうとすると、部下たちはちらっと視線を送るもののほとんど姿勢をくずさない。第二営業課のデスクの島には緊張した空気が流れていた。部下たち一人一人が誠一郎の胸中を推しはかっているかのようである。
会議室に呼ばれたのは、現在のプロジェクトについての長期の見通しをきかれるためだった。資金回収が遅れている。バブル景気のころならうまくいったものがくずれてきていた。はっきりした言葉は避けていたが、最終的な結果次第では責任をとるように迫るものだった。
自分の運の悪さを責めるか、運の悪い時代に遭遇したことを恨むか。誠一郎は納得できないものを抱えていた。
誠一郎のような中間管理職のサラリーマンにとっては、きびしい時代にさしかかっていた。
誠一郎のデスクの灰皿には、吸い殻が山のように積まれていた。
会社の早期退職者の募集案内が掲示板に貼り出された。退職金が割り増しされるとある。対象年齢は勤続20年以上で年齢は45歳以上だった。誠一郎は対象年齢に達していた。先のことを何も考えなければ、退職金の割り増しは魅力的だった。今抱えている案件を放り出して飛びつきたいとも思った。どんなに楽になるだろうか。
だが、10年前に郊外にちょっと無理をして購入した庭付き一戸建ての住宅ローンの返済、二人の子どものこれからの教育費のこと、最近妻恵子が「生活費が足りない」と言ってパート勤めを始めたことを考えると、とんでもないことだとその掲示板から離れる。
前へ進むしかない。
負け犬になるなと自分を鼓舞した。