誠一郎の両親は、新婚まもない頃に赤紙が届き父親は徴兵された。実はその時、母親は妊娠していた。父は産まれた子が男なら誠一郎と名づけるようにいって出征していった。そして戦地から戻ってきた骨壺には小さな石ころだけが入っていたらしいこと。
戦後は母一人子一人の家庭で育ったこと、母は遠縁を頼って戦後は小さな会社員で働いて誠一郎を育てたこと。誠一郎は大学を卒業後、大手の会社に就職した。母は涙を流さんばかりに喜んでくれたこと。その母を昨年病気で亡くしたこと。
「まるで小説を読んでる感じ……」
と呟く深雪の目尻には光るものがたまっていた。誠一郎も気づいていた。
深雪は人差し指で目尻をさっとぬぐった。
「水島上等兵ってわかります?」
深雪が誠一郎の方に向いて訊ねた。
「ああ、わかるよ。『ビルマの竪琴』の主人公やろ」
と答える誠一郎にやっと笑顔が戻った。
「家にあったよ。もう、内容は忘れてるな」
「やっぱりそうなんですね」
誠一郎は小さな本棚におさまっていた『ビルマの竪琴』を懐かしみ、母親が買った本だったことをあらためて思った。
「映画化されたので、本よりも映像でお坊さんになった日本兵の姿を記憶してる人が多い作品なんですよね」
と言って、深雪は誠一郎に『ビルマの竪琴』の説明を始めた。
1947年に童話雑誌『赤とんぼ』に掲載されて1948年に単行本として出版された。著者竹山道雄は1903年に大阪で生まれた人で、ヨーロッパの文学に詳しく、戦後は東京大学の教授などを歴任した教育者だった。
戦中は東大の前身である第一高等学校の教授として、教え子を学徒出陣で戦場に送り出した体験を持っている。
1956年と1985年に市川崑監督によって映画化されたが、ビルマでの撮影は当時の政治情勢では難しかったという。だが、この時の映像は、多くの日本人の心に焼きついた。
内容的には児童向けに書かれたものなので、平易な文章で冒険小説のような展開もある。
水島上等兵がいた小隊はイギリス軍に降伏して捕虜収容所に入った。そこで隊長は、ある日本軍の部隊が全滅の危機にあると聞いて、イギリス軍と相談して、水島上等兵をその部隊の元に送り、説得して降伏させることにした。
ところが、水島上等兵は消息を断つ。かわりに水島上等兵によく似たビルマの僧を見かけるようになった。肩にインコを乗せ、寡黙なそのビルマの僧がひょっとしたら水島上等兵ではないかと隊員たちは思い始める。
やがて隊員たちは日本へ復員することになった。隊長は「オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンヘカエロウ」。という日本語を覚えさせたインコをその青年僧に渡すことに成功した。
小隊がいよいよ日本へ帰る際、その青年僧は収容所の柵の外にあらわれ、竪琴で日本人なら誰でも知っている「仰げば尊し」を奏で、森の中に消えていく。まもなくその青年僧から別のインコと封書が届き、全てが明らかになる。
無数の日本兵の死体が何もなされずそのままになっている姿を見て、この地に留まり、出家し、弔うことを決意したという心情が綴られていた。
インコは「アア、ヤッパリジブンハ、カエルワケニハイカナイ」と叫ぶ。