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8月に入ると広島平和記念日、長崎原爆の日、終戦記念日を迎える。世間ではこの頃は盆休みに入り、企業の経済活動に目立った変化はあまりない。
だが、誠一郎は職安に行き、新たな新規求人募集がないか調べることにした。職を求めてくる人は減ってはいたが、求人案内にほとんど変化がない。
「この時期は企業も長い休みに入るのであまり求人がないんですよ。秋から本格的に募集を始めるでしょう」
と職安の職員から説明を受ける。
席を立とうとする誠一郎に、
「秋からが勝負ですよ」
と、職員はさらなる長期戦への覚悟をアドバイスする。
夕方、誠一郎は深雪と待ち合わせの場所で会う。
会うなりすぐに深雪は、
「なんか映画でもみませんか?」
と誠一郎を誘った。
「映画?」
「ちょうどいい映画がいま公開されてるんですよ。開演までまだ時間があるわ」
深雪は「きけわだつみの声」とは違う映画を見て気分を変えたいと思っていた。
「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」という女性が使う香水が印象に残る映画である。アル・パチーノ演じる退役軍人と苦学している名門高校生のそれぞれが抱えた人生のトラブルを、いっしょに旅することで解決していくストーリーである。
映画館ですごす二人。互いの息遣いと体温がかすかに伝わってきそうだ。
映画が終わると居酒屋へ。誠一郎は初めて入る店だった。暖簾をくぐり中を先に覗くとテーブル席は満杯だったが、カウンター席は少し空いていた。誠一郎は深雪に手招きしてカウンター席に座らせた。
「先日旅行会社へちょっと寄ってみたんです」
深雪がバッグから旅行会社のパンフレットを出して誠一郎に見せた。
大手旅行社の東南アジアツアーのパンフレットだった。深雪がひらいたページにはミャンマーへのツアーが載っていた。
誠一郎は自分の方に引き寄せ、ツアーの解説にざっと目を通し始めた。
「まだ間に合うみたいですよ」
深雪はパンフレットに目を落とす誠一郎に促す。
「高いんだね」
誠一郎はツアーの料金に目が留まった。失業中の誠一郎にとっては、半額でも高いと思える金額だった。
「タイとかインドネシアあたりは安いツアーはあるんですが、ベトナムとかビルマは政治体制が違うので何かと割り増しになっていて、このぐらいしますよ」
深雪は申し訳なさそうにいう。
日程的には誠一郎はその気になれば行けると思った。
「検討してみる」と言って誠一郎はパンフレットを預かった。
次に会う日も自然に約束して別れた。
誠一郎はその日までに決めようと思った。