Out of Far East    

アジアの歴史、民俗、言語、暮らし、読書、映画鑑賞など  by ほおのき麻衣

母の初盆 ビルマ慕情(27)

今日は母絹江の初盆の日だ。 この日のために、恵子が誠一郎が育った家で準備を進めていた。絹江が昨年亡くなって以来、家はそのままになっていたが、初盆を無事に終えてから家の処分は考えるということを恵子と相談していた。 妻恵子の両親と母絹江の唯一の…

急がば回れ ビルマ慕情(26)

二人は居酒屋を出て、駅に向かって歩き始めた。 言葉少ない会話とややふらつきながら、 「ミャンマーへ行ったことはあるんですか?」 唐突に深雪が誠一郎の顔を正面から見据えていった。 「ミャンマーに?」 と誠一郎は問い返しながら、一瞬立ち止まった。 …

名刺のない生活 ビルマ慕情(25)

「毎日フェスティバルに来られていたじゃないですか……会社勤めの方とは思わなかったわ。最初はメディア関係の方だと思ったけど、そうでもない感じで、どういう人かなと思ってたんですよ。とにかく時間がおありなそうなので余裕のある方にはみえたわ」 深雪は…

水島上等兵 ビルマ慕情(24)

誠一郎の両親は、新婚まもない頃に赤紙が届き父親は徴兵された。実はその時、母親は妊娠していた。父は産まれた子が男なら誠一郎と名づけるようにいって出征していった。そして戦地から戻ってきた骨壺には小さな石ころだけが入っていたらしいこと。 戦後は母…

雪解け ビルマ慕情(23)

酔いもまわってきて深雪はさらに饒舌になり、あいかわらず誠一郎がもっぱら聞き役にまわって時間が流れていく。 「父は別に戦争孤児ではないんですが、ちょっと訳があって戦後は孤児みたいな境遇になった人で」 世代間で戦争体験を語り継ぐことは必要かどう…

ひとときの始まり ビルマ慕情(22)

誠一郎は深雪にいわれたように地下鉄の入り口近くの交差点の角で待つことにした。しばらくすると、深雪が涼しげな夏のワンピースにアジアの民芸風のカラフルな布のショルダーバッグを肩にかけてやってきた。 「どこへいこうか?」 誠一郎は自分から誘ったも…

「きけ、わだつみの声」 ビルマ慕情(21)

次の日の3階のホールで行われる映画「日本戰歿学生の手記 きけ、わだつみの声」上映会にも誠一郎は来た。 上映時間まで時間を潰すために、やはり1階のロビーで「ミャンマーの今」写真展を見てすごしていた。上映時間になったのでホールへ上がっていくと、す…

講演後の二人 ビルマ慕情(20)

講演が終わるや否や、誠一郎は、入り口あたりにあるスタンド灰皿のそばにいき、ずっと我慢していた煙草を吸い始めた。 深雪は参加者のざわつきの中で会場の後片付けに追われていた。その深雪に斉藤が静かに近づいてきて「いいフェスティバルだね」と切り出し…

戦友を想う語り ビルマ慕情(19)

斉藤の講演に続いて、質疑応答に入った。 「あまり時間はないんですが、質問、意見、感想などありましたら、遠慮なく発言してください」 と深雪が言い終わるや否や、ある年配の男性が、自分の所属部隊を語り、あのインパール作戦を生き抜いてきた斉藤に共感…

学徒出陣 ビルマ慕情(18)

誠一郎は戦争のパネル展を見ている途中で、講演会が始まる時間になってきたので隣室の会議室に入った。50人ほどがすでにパイプ椅子に座っていたので、誠一郎は一番後ろの端の席にすわった。はぼ席は満員状態。 企画マネージャーの澤村深雪が、講演者の斉藤信…

悲劇の白骨街道 ビルマ慕情(17)

1944年(昭和19)1月インパール作戦が正式に発令された。第十五軍傘下の三個師団はそれぞれ準備に入った。 アラカン山系の一番険しい北側のルートを進むことになっていた第31師団は、補給のための自動車道路の開設と物資の集積に懸命だった。自動車に頼れな…

インパール作戦前夜  ビルマ慕情(16)

続いて誠一郎は、インパール作戦についての写真と解説を目で追い始めた。 1944年3月開始時点での日本軍の参加部隊指揮者は以下のようになる。 ビルマ方面軍司令官 川邊正三中将 | 第十五軍司令官 牟田口廉也中将 ーーーー第十五師団師団長 山内正文中将 第…

ビルマでの戦い ビルマ慕情(15)

ミャンマー(ビルマ)フェスティバル5日目。 誠一郎は深雪に言われたように講演会の時間より早めに来て、別室の戦争パネル展を見ることにした。カラー写真の「ミャンマーは今」展と打って変わって、戦中のビルマでの日本軍の様子が中心となった白黒写真だっ…

近づく終戦記念日 ビルマ慕情(14)

「このフェスティバルはどこで知りました?」 企画マネージャーとして知りたい情報だった。 「新聞で知って面白そうに思ってね」 「やっぱりミャンマーに関心があるんじゃないですか」 深雪は驚いた顔を誠一郎の方に向けた。 誠一郎は話題を変えようと思った…

老兵と語る女性 ビルマ慕情(13)

ロビーのざわつきと弦が奏でる音楽が、ソファに並んで座る二人の気まずさを救ってくれた。 山崎は瞼を落とし、しばらく動かなかった。杖を身体の中央において、両手でその杖に体重をかけている。 誠一郎はビルマという言葉にただ惹かれて、ここまできたこと…

見知らぬ老人 ビルマ慕情(12)

四日目も同じように、ロビーにある広いコーナーの壁に飾られたパネルの前で、まぶたに焼き付けるように眺めていた。 心を落ちつかせようとした。 そして休憩コーナーで煙草をふかせていた。 ソファベンチに腰かけて考え事をするかのようにフロアの床の一点に…

面接の日々 ビルマ慕情(11)

次の日、午前中に誠一郎は職安に向かった。 三日前に面接を受けた会社から、履歴書が昨日郵送で送返されていたので、もう一度はじめから求人を探すためだった。すでに何通も履歴書を送返されるという苦い経験を積んでいる。社会から求められていないという感…

「ミャンマーの今」写真展 ビルマ慕情(10)

ロビーの奥のコーナーでは、ミャンマーから取材旅行で帰ってきたばかりの女性の写真家による写真が展示されていた。 コーナーの入り口には、写真家の顔写真とプロフィールが紹介されていたが、つい最近までサラリーマンをしていた誠一郎にとっては聞いたこと…

ミャンマーについて ビルマ慕情(9)

国際交流女性センターに入ると、何の楽器だろうか、今まできいたこともないような弦がはじけるさびしげな音色の民族音楽が流れていた。 誠一郎は別世界にやってきたような感じがしていた。 奥の方では平日なので大勢の女性がつどっていた。男性の老人の姿も…

文化欄の催し ビルマ慕情(8)

暑い夏。8月に入って日差しがきつい日が続いていた。 リビングルームでは扇風機が静かな音を立てて回っている。誠一郎はいつものようにソファにすわって新聞を眺めていた。庭に続くサッシは開け放たれ、時折涼しい風が入ってきた。 妻恵子は今朝はまだ自宅に…

桜散るころ ビルマ慕情(7)

1993年3月。 誠一郎は早期退職した。上司から引き留められることはなかった。 妻恵子には事後報告というかたちになってしまったが、次の職はすぐ見つかりそうだと言ってなぐさめた。恵子もすぐに再就職を考えるということで納得した。 社内の健康診断では問…

夫婦の葛藤 ビルマ慕情(6)

誠一郎が妻恵子に早期退職を考えている胸中を語った夜から、一週間がたった。夫婦は再度話し合いの時間をもった。 「定年前にMID Jajanをやめるなんて……人が聞いたら笑うわ。これから幸子や徹を大学まで行かせようと思ったらどれだけお金がかかるか……それに…

家庭内不和 ビルマ慕情(5)

1992年12月。 土曜の夜、息子の徹は塾からまだ帰ってきていない。娘の幸子は夕飯後は自室にこもっている。一階は夫婦二人だけである。 テレビでは野球中継が流れている。誠一郎はリビングルームのソファにすわってテレビを見ているが、時々妻の様子を伺って…

早期退職者募集 ビルマ慕情(4)

誠一郎は同期入社組の中で、一番出世が遅れていると見られていた。 彼らはバブル景気が始まると、早々と課長職、次長職を昇りつめていた。 バブル景気。 一般的には1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までに日本に起こった、資産価値の上昇と好…

バブル崩壊と母の死 ビルマ慕情(3)

1992年秋。 この年、日本経済は長い不況の時代の入り口に入っていた。 1989年12月29日、日経平均株価が史上最高値38,915円をつけ、この前後の好況期をメディアはバブル景気という言葉で表現していた。日本社会全体が好況に沸いていた。 ところが、1991年ごろ…

臨時のスタッフ ビルマ慕情(2)

土曜の午後、ポロシャツに軽いジャケットを羽織った誠一郎が、自宅のリビングルームで出かける支度をしている。名刺いれから新しくできたばかりの名刺を一枚抜き出して、財布に移し入れた。 地下鉄天満橋駅を降りて、誠一郎は歩いて10分ぐらいの距離にある国…

再就職 ビルマ慕情(1)

平日の昼下がり、リビングルームの電話の音が鳴る。 「はい、矢島です」 「こちら東和化成ですが、矢島誠一郎さんですか?」 先日再就職のために面接を受けた会社の若い女性の声だった。電話連絡は初めてだった。いつも履歴書を返送されるだけだったので、一…

小説『ビルマ慕情』公開に寄せて

これからブログに不定期で載せていこうと思っている小説は、太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)3月に始まった日本軍によるビルマ・インパール作戦を扱った作品である。 当時、三個師団10万人の将兵がこの作戦に参加し、ビルマ(現在のミャンマー)北部から…

ある脚本家との縁

もう30年ほど前になる。ある脚本家とちょっとした縁ができた。 が、その後苦い思い出に終わってしまったことがある。 大阪の「サヨクの界隈」ではかなり名の通った舞台俳優のおつれあいということで、信用しない理由がない。 ある時その脚本家から呼び出さ…

編集者からの助言

少し前に漫画家が創った原作を映画化するに当たって、本人が苦しい状況に追い込まれ自らの命を……という出来事があったが、別の出口もあったのではと思い考えさせられた。 ドラマ化にあたっては脚本家、出版会社、ドラマ制作会社といろんな立場の人が関わって…