Out of Far East    

アジアの歴史、民俗、言語、暮らし、読書、映画鑑賞など  by ほおのき麻衣

ある脚本家との縁

もう30年ほど前になる。ある脚本家とちょっとした縁ができた。

が、その後苦い思い出に終わってしまったことがある。

大阪の「サヨクの界隈」ではかなり名の通った舞台俳優のおつれあいということで、信用しない理由がない。

 

ある時その脚本家から呼び出されて食事か何かをご一緒した。

 

話は変わるが、ある有名ブロガーさんがご自分の職業の業界で力ある人物に呼ばれて二人だけで会うことになったことをブログに書いていた。

後々のことがあるので服まで新調して会ったが、どういう顛末で終わったかを面白おかしくほろ苦い思い出として独特の文章で書いていて共感したものだった。

 

私も当時小洒落た服なんていらない職場にいたので、ここはきちんとしないといけないと思い新しい服まで買って準備した。

そこでいろいろ話をして、別れ際に自分が所属する団体のシナリオコンテストの応募用件のコピーをくれた。

まだ締め切りまで時間があるから何か出してみなさいということだった。

 

シナリオそのものには関心はなかったし、書き方すら見当もつかなかったが、若い頃なので、何者かになりたいともがいていた時期だった。

早速シナリオの書き方の類の参考書を買って、いつか表現したいと温めていたネタを引っ張り出して見よう見まねで書いて送った。

 

私は以前から劇作家のブレヒトのファンで異化効果には関心を持っていた。

だからシナリオを書くことはブレヒトの世界に近づくことと思えば楽しかった。

自分なりの異化効果をねらった作品に即席で仕上げたのだと思う。

 

シナリオ自体、超素人の書いた駄文であるが、声をかけてくれたので一応出すのが礼儀だろうと思っていた。

わずか数行だけ表示されるワープロを持っていたので、それで書いた。

その後連絡はないが、こんなものと思っていてこちらも忘れかけていた。

その後私は職場をさり結婚した。

 

しばらくある小さなお店の従業員として働いていた。

そこの経営者である女性は理知的でバリバリのフェミニストだった。

だからお店はフェミニストの出入りが多かった。

 

そのころ大阪の天満橋駅周辺のビジネス街に面積も容積もある大きな公共施設が完成した。

フェミニストたちの話を聞いていると、この施設に寄せる期待は大きかったようだ。

そしていよいよその施設のオープニングセレモニーが行われる日がきた。

経営者である女性と仲間たちが参加した。私がお店の留守を預かった。

 

経営者が戻ってきたので、セレモニーのパンフも見せてもらい話を聞いたりしていたが、会場の舞台で行われた劇にあの脚本家の名前を見出した。

「この脚本家知ってる人なんよ」というと、彼女は「なんかわけがわからん劇だった」という。

興味を持ったので、彼女にどんな劇だったか大雑把に話してもらうと私の作品とキーワードが同じで似ていると思った。

気になったので、自分とこの脚本家との縁と作品を送ったことを彼女に説明して、私の作品の内容を聞いてもらった。

一緒だという返事だった。あくまでも主観的な感想なので、このあたりの扱いは難しいと思う。

しかし、この時点で私は盗作されたと思った。

 

よりによって、女性の表現活動を応援していこうという施設の柿落としに使われてしまったと思うとお腹の虫がおさまらない。

 

次の日、このお店にあった新聞紙から「載ってるわよ」と言って経営者が記事を見せてくれた。

オープニングセレモニーを取材した記事で、脚本家と夫人が並ぶ写真と談話が紹介されていた。どちらも黒の礼服姿で脚本家は蝶ネクタイで夫人は白いフワフワのケープを羽織っていた。

そして脚本家は夫人に今まで苦労かけた償いなどと語っていた。

 

その脚本家にしてみれば、私が気づくことはまずないと思っていただろう。

実際この経営者のそばにいなかったら、何も気づかずに過ごしてきたと思うとゾッとする。

こんなこと水に流せる? もう忘れて新たな道に進めばいい?

 

すぐに私は脚本家に抗議の手紙を書いた。返事はなかった。

 

実はその時私は妊娠していた。それでまもなくそのお店もやめた。

時間ができたので、とりあえずその公共施設を見に行った。

帰る道すがら、いつかこの件に関する何らかの対応は考えようと誓った。長期戦になるのはわかっていた。

 

こんな風に考えるのは病的?

 

冷静に考えてみた。

あの脚本家が私のようなものをわざわざ呼び出すなんてありえないことだ。

誰かに頼まれたんだと思う。この「誰か」はまだしばらくpending。

そして次の作品を書かせようとした? いいように解釈すれば育てようと考えた? 

それともまた別の理由かな。

 

あの脚本家の元で何を学ぶ? ゾッとする。

どうして私の意思を確認しないんでしょうか? 

一寸の虫にも五分の魂を知らないんでしょうか?

職場環境を疑ってしまう。

 

脚本家にしてみれば、いうとおりにしていて損はない。これからも可愛がってもらえるから。とても力がある団体関係者だからだ。

やっと夫人のビッグネームに並ぶ芽が出てきた時だから尚更だ。

こう考えると脚本家も犠牲者だ。自分の意思ではなくやらされただけだ。ー

と、この界隈は怖いのでここまで。

 

あれから30年近い年月が流れた。

時間が教えてくれたものは大きい。

最近はあの脚本家に実は感謝しないといけないことに気づき始めた。

 

あの時、漠然と持っていたネタをとりあえず形にすることに集中させてくれたからだ。

それから10年ぐらいたったとき、「こんなところに居ても仕方がない」と「取り返す行為」に着手できたのもあの脚本家のおかげだ。

今はそのネタからもっと膨らませたり、新たな発見を付け加えたりできるのも頭の中に残っていたあのシナリオが原点になっている。

 

時間が新たな方向に導いてくれたのだ。

誰でも発信者になれる時代の恩恵を受けている。

 

ではでは