Out of Far East    

アジアの歴史、民俗、言語、暮らし、読書、映画鑑賞など  by ほおのき麻衣

市民菜園で最初の一歩

自給自足を目指してみようと畑を借りる生活を始めたのは、2011年の東北大震災の年だった。

だからあの震災からもう何年になると数えると、その数字はそのまま菜園生活の年数になってわかりやすい。

 

以前から自分で野菜を作ったりする菜園生活にあこがれはあった。

 

大震災の後、これからどうなるのかという未知の答えを求めて、あちこちの講演会に出席して話を聞いたり、ネット配信で関連動画もみた。

どうやら食べ物、飲み物に気をつけないといけないらしいことがわかってきた。

さらにそのころに大工だった若い女性の体験談を動画で見て感動した。震災後、自作の家とそれまでの自給自足の生活を放棄して避難せざるを得なくなったと語ったのだが、そういう自給自足の生活に近づきたいなと思った。

 

というわけで市民菜園の募集を知ったとき応募することにした。

募集要項を見て自宅から一番近い菜園に下見に行った。そこは住宅地の一番奥にあって行き止まりのような立地にある市民菜園だった。

若い女性が身をかがめて作業をしていたので声をかけた。実際に借りている人に話しをきくのが一番参考になる。

応募するつもりだといったら、「当たりませんよ」という返事だった。聞けばここは水道がついているので倍率が高いのだという。数倍になるらしい。

しかもこの自治体のルールとして2年ごとに再度抽選しなおすとのこと。できるだけ多くの市民に機会を提供するためだろうか。

2年たてばはずれるか、当たっても別の区画ともなればモチベーションは上がりにくい。

土を作っていく作業がどれだけ大変か。

 

が、とにかく申し込んだらなんと当選した。飛び上がりたいほどうれしかった。

さっそくmyスコップを購入してやる気マンマン。

 

実はこの市民菜園を知る前に、六甲山で独自で菜園ライフをするので仲間を募っていた人のところにも参加を申し込んでいた。市民菜園に落選していたら六甲山で土いじりをしていたかもしれない。

が、私の年齢、体力、マイペースな性格などを考えると、グループでやるのは向いていない。市民菜園に当選したことは、その後の展開を考えるとよかったように思う。

 

まもなく当選者の区画が決定され講演会も催され参加した。たい肥と肥料の違いもわからなかったころだった。

5m×3mで15m2ほどの小さな畑で菜園生活が始まった。市街地の市民菜園の面積はだいたいこのぐらいの面積になる。今の広々とした地平線を望む市民菜園とは目にする景色が全く違う。

 

助言してくれた若い女性は、どうやらはずれたか何らかの事情で今回は応募しなかったのか見かけることはなかった。

 

その後2年目で市民菜園が突然閉じることになった。元々地権者の好意で市に提供されていた土地だったけれど、代が変わってマンションが建つことになったという。

駅からも近いし、ショッピングモールの裏手にある住宅地の中にあり、マンションの立地条件として申し分ない。きっと今は立派なマンションが建っているに違いない。

 

当時は「老後の楽しみにしてたのに」と残念がる人もいた。

私は他の市民菜園を見学して「次」を探したが、どこも狭いし、水道がついていない。狭いと身体的にも感情的にも隣人とぶつかりやすいし、自分で水を運んでまで続ける気がしなかった。

 

で、通勤通学圏ならばどこにでも引っ越せると考えて、広い視野で畑を探して見つけたのが今の畑というわけ。いろんな点でかなり恵まれたレンタル農園だ。

15m2からいきなり100m2になり今年から50m2になる。

 

で、10年やってきて、適正な耕作面積は単身者も含めて一家族50m2が適正じゃないかと思っている。今思い起こせば、100m2 はしんどかったかな。

 

ではでは