少し前に漫画家が創った原作を映画化するに当たって、本人が苦しい状況に追い込まれ自らの命を……という出来事があったが、別の出口もあったのではと思い考えさせられた。
ドラマ化にあたっては脚本家、出版会社、ドラマ制作会社といろんな立場の人が関わっていて、原作者の立場は意外に低いらしいこともこのたびわかった。
原作者は創作に集中したいだろうから、信頼できる人にお任せできるならお任せしたいというのが本音だったのではと部外者は思ってしまう。
脚本家という仕事にしても、何度も書き直しを求められて過重な忍耐を求められるとどこかで読んだことがある。
とにかく今まで考えたこともない業界の力関係を知る機会になった。
私は以前出版に関わる編集者の仕事内容に興味を持ったことがある。
読書は好きだが、自分が小説を書くなんて想像もしていなかった。
文学部を卒業したわけでもなく、小説の書き方を習ったわけでもなくもちろん基礎的な知識もなかった。
人称をどうすればいいのか、主人公の名前はいつ出すのかとか、いざ書こうとすれば問題は色々出てきてキリがない。
どちらかといえば、若い頃はノンフィクションの書き手になりたいと思っていた。
で、以前から、失業者である中年男性の再生物語を書いてみたいと思ったことがあり、どうしたものか悩んだことがある。
クライマックスは異国で涙するということを決めていたからだった。
果たしていったこともない異国に立つ主人公を、いくら小説とはいえ書けるかなという思いがあった。
たまたま同じ異国を舞台にした有名な文学作品があり、その作家の手記を読んだことがある。
異国での戦争体験がある人と思っていたが、全くそうではなく、写真を見ただけだったと創作の裏話を明らかにしていた。
書いておきたいという思いが先行したらしい。
私も書けるかもしれないと思った。
そうして好きな作家の小説を見よう見まねで書いた小説をある編集者が読んでくれた。
この編集者は仕事としての思惑があり、私は私で別の思惑があった。
電話と手紙でしか連絡が取れない時代だった。
で、小説にはまだまだ到達していないという評価をもらった。
実力を一番知っているのは自分なので別に落胆もしなかった。
ただ、その編集者から内容が興味深いので小説としては面白そうだと言われた。
それでゴーストライターをつけるので出版する気はないかと言われた。
もちろん著者は私になる。
ゴーストライターってこういう時にも活躍するんだと思ったものだった。
もちろんお断りした。
まだ自分で努力してみる余地はあると思ったからだった。
しかし、この編集者とのやりとりを通じて発見したことがある。
自分は「失業者」を書いていると思っていたが、「あなたは大人の迷子を書いている」と指摘されたのが新鮮で、視野が90度ぐらいから一気に180度に広がったような気がした。
その時以来「大人の迷子」は念頭にずっとある。
誰でも一度は大人の迷子経験に思い当たることがあるのではと思う。
小さい子が迷子になれば親を求めて泣いていることが多い。この社会で迷子になりたくないという思いに共感したり恐怖したりする人は少なくないと思った。
個人的には「大人の迷子」には苦い思い出がある。
それと主人公が異国で涙する姿を「菩提を弔う」という優しい仏教用語で表現してくれて感激した。聞き慣れない言葉だったので、私の中からは絶対出てこない。
大昔の「菩提樹」というテレビドラマを思い出しのだが、わかる人は同世代だ。
とにかく、それからいっそう主人公への感情移入が深まった感じがした。
あの時の編集者は、デスクに山と積まれた原稿の一つを処理するだけのことだったかもしれない。
が、素人の作品を読んでもらえたので、こちらは多大なエネルギーをもらったのは確かだ。
編集者とはこういう仕事もするのかと感激したものだった。
ではでは