いつか書いておきたいと思っていたこと。自分もいつどこでどうなるかわからない時代になってきたので、やっぱり書いておこう。
自分が生まれ育ったA市はあまり好きになれない。家庭の中でも外でも居場所がなかったからだと思う。
1985年にそのA市の最北部に都市郊外型の複合商業施設ができた。今でこそ⚪︎⚪︎ショッピングセンターとかショッピングモールとか珍しくないけれど、当時は画期的な施設だった。
この商業施設が普通に呼ばれている略称は、有名なコピーライターが考案したと最近知ったばかり。
A市はもともと商工業が盛んな市であり、その複合商業施設も大きな繊維工場の跡地にできたものだった。閑静な住宅地の中に、大きなテーマパークができた感じもした。
家からバスで行けたので、オープン日からよく行った。敷地の中に小川が流れていて、その両脇の通路にフリマのような手作りの店が並び、休日ともなれば、子連れの家族で賑やかだった。石畳の広場もあり、かわいい教会も建っていた。そして鳩が舞い、小さな子供たちが楽しそうにすごしていた。
デパートも入っていたし、レストランを含めた専門店街がいい雰囲気を出していた。今思えば楽しい空間だった。全体的にヨーロッパのおしゃれな街並みを再現していたように思う。
バブル景気といわれる時代に入るころで、子どもの数も多かったし、豊かな時代だったこともある。
で、その敷地の中にあるデパートに、チマチョゴリというKoreanの華やかな民族衣装の店が入っていてびっくりした記憶がある。
ただし採算を度外視して、ただパフォーマンスのような店に見えた。
韓流ドラマや韓流映画やKポップとかなんて全くない時代で、日本中探してもこんな店が出ている商業施設はないと思えて、考えられない光景と当時の自分には写った。
どういう経緯で店舗が出されたのかわからないけれど、ちょっと強烈な印象を残したのは事実。
この時、ここを企画運営していた会社の社長さんのことは名前はもちろん何も知らなかった。
ただどういう人かなと考えさせてくれた。
後日、私と同じ立場の知り合いにこの時の印象を語った。
「⚪︎⚪︎の社長はそういう人だと聞いたことがある」
ということだった。私が知らないだけで有名な方らしいとわかった。
負のイメージがやや強かった A市に、こんなおしゃれな商業施設を創った社長が作家でもあることは、後日わかった。作風も嫌いではなく、むしろ複雑な家庭環境を語る本は好んで読んでいた。ただ一人の人であることがわかった時は、あの時の民族衣装の店を思い出して感動したものだった。
実業家と作家として別々に存在していた名前が、自分で調べていくとどうやら同じ人だとわかるという珍しい経験をした。場所は図書館だった。
ここで話が変わるが、ちょっと自分の時間が持てるようになった頃、簡単な小説を書いて読んでくれそうな編集者に送り始めた。さらに小説のコンクールがあればそこへも送った。記憶は定かではないが、いろんなところへ送ったように思う。
審査に合格して、合格者として名前が活字にされてどこかに載ることが目的だった。ある方に「諦めていませんよ」「這い上がってますよ」と知ってもらうためだった。褒められたことではないし、品がある行為ではない。これ以外に方法が考えられなかったし、控えめでなかなかいいと思うのだが。
結果的には一箇所で一次審査合格者として名前が載り目的は果たせた。もうほんとに嬉しかった。ここまできたかっていう感じ。
ちょうどその頃、購読していた新聞に作家辻井喬の小説が連載小説として始まった。前半を興味深く読んでいた。なんとビルマでのインパール作戦を扱っていたからだった。大興奮して、暗い記憶を語る人物の表現を感心しながらノートに抜書きしたりした。自分の作品の中で真似たりしたかも。
専属のライターがいたんだと思うが、語彙が豊富で、辻井喬の著作を再度読み始めるきっかけになった。
さらにこの新聞社も小説を募集していることがわかると、今ならチャンスかもしれないと思って厚顔無恥にも送ったりした。
そんな頃、読んでもらうために出版社に送ってある作品の感想を聞くために、担当の編集者に電話を入れたら、
「今、ちょうどコーヒーブレイクしようと思っていたので、ちょっとお話ししましょう」ということになった。それで雑談が始まり、
「作家の中で誰が好き」と聞かれて、ちょうど辻井喬の本を読み漁っていた最中だったのでその名前をだすと
「政治力で読ませているんですよ」とやや冷めた感想が返ってきた。
政治力で読ませるとはどういうことか今だにわからない。
「あの複雑な家庭環境で物を考える姿に共感するんですよ」と答えると黙っていた。
なんと言われようとも、辻井喬の文章は誰からも勧められたわけではなく、自分の好みで読んでいた。
だいぶ前に、バブルの時代を振り返るテレビ番組で、この作家が実業家として出演しているのを見た。控えめでシャイな人だなと思った。
この作家の新聞小説で、インパール作戦やわだつみという活字を見つけると心は躍った。この時点で日本でインパール作戦にこだわり、戦後の企業戦士と戦中の兵士の記憶を一体化して考える方向性は間違っていないと思った。
この作家と同じ方向を見ていると思うと嬉しくて、書いてみる価値はあると思ったものだった。信じられないけれど、これは全く偶然。
この作家からは多大なインスピレーションを受けた。