Out of Far East    

アジアの歴史、民俗、言語、暮らし、読書、映画鑑賞など  by ほおのき麻衣

麻衣と作家李光洙

ネットワーク上で使っている管理人の名前麻衣(マイ)の紹介。

似た名前を含めてこの名前はいつからか見かけることが多い。麻衣子、舞、舞子、真衣子など。衣が依になっている場合もある。

ブログの管理人の本名は別にあり、その名前は女性の名前として客観的に見ればいい名前の部類に入ると思ってきた。昭和の文人が創り出した名前だった。

ただし、管理人からすれば、実態からはかなり名前負けのきらいを感じてきて、いろいろ考えることもあり少々荷が重いと感じていた。

とにかく亡くなった父は生まれてくる子が女だったら麻衣にすると決めていた。ちなみにKoreanで発音しても音はマイに近い。そういう意味でもこだわったかもしれない。

 

父の戦中の職場は現在の韓国にあった。農民に麻を作らせて軍需物資として供出させていた。人の背丈を超える麻の畑を見ているとサトウキビ畑に似ているように見える。収穫した大量の麻は南方戦線の軍服や物資を入れる袋になったらしい。植物自体に麻薬性があることも聞いていたと。

この収穫したばかりの麻には独特の腰の強さがあって、父は手のひらが覚えたその感触を気に入っていたらしい。

現在の韓国は太平洋戦争の頃は空襲はなかった。父はそこで過ごした時間は精神的苦痛はあったがのんびりした部分もあったはず。


そのころ李光洙(イ・グァンス、1892年-1950)という作家がいた。日本でも波乱万丈の人生は本も出ていて読んだことがある。韓国近代文学の祖とか「親日」の烙印も押されて、現在の韓国では著作は出版されていないはず。たとえあっても批判的なものになると思う。個人的にはちょっと男として「ずるさ」を感じるかな。

この作家は日本に留学経験があり日本語は堪能。

1926年東亜日報に『麻衣太子』という新聞小説を連載開始した。日本語で書いているので、日本の植民者にKoreaの歴史を紹介するという形になっている。どれだけの読者を掴んだかはわからない。多分連載が終わると単行本で出版されたのだろう。

麻衣太子とは10世紀ごろの新羅最後の皇太子で、高麗に追われて山に逃げて粗末な麻の衣を着て草食をして暮らしながら、なんとか盛り返そうと頑張った人らしい。

父は戦中韓国にいたのでこの本を読んだと思われる。日本語で書かれていたからだった。

折に触れて麻衣太子が好きだったと言っていた。

 

話は変わるけれど、俳優の岸恵子さんのお嬢さんの日本の名前は確か「麻衣子」だっと思う。

昭和の頃、日本に来日したとき週刊誌の表紙に大きく載り新聞でも紹介されていた。父はそれを見て「この名前つけたかった」と。よっぱど好きだったようだ。

 

李光洙の『麻衣太子』を一度読んでみたいと思うけれど、今はもう歴史に埋もれてしまって読めない本になっていると思う。

この作家の評価は難しいけれど、ただ父のような人には当時日本語でKoreaの歴史を楽しめる数少ない本の一つになったというのは事実だった。一人の真摯な読者は獲得していた。

それと李光洙の夫人は医師で、不安定な夫のために日本に留学してさらに技術を学ぼうとしていた。

この時代のKoreaでは珍しく行動力のある女性だ。この女性も戦後の歴史に埋もれたままになっていると思う。ちょっと惜しい。

 

というわけで娘がネットの仮想空間で「麻衣」を名乗っているとわかれば喜んでくれたと思う。命日が近いので思い出してみた。