若いころ、ほんの少しだけベトナム語を学習した経験がある。
日本語話者にとっては音を出したり聞き分けたりするにはかなり難しい言語だと思って終わってしまった。声調は驚くなかれ6つもある。ただし簡単な文法が分かれば、いい辞書があれば絵本に出てくるような簡単な文なら翻訳はできそうだと思った。
当時はインターネットなんか全く存在していない頃で携帯電話もワープロすらまだそんなに普及していなかった。外国語の学習とは分厚くて重い紙の辞書を引きまくることだった。
で、早々に自分には難しすぎる言語と悟ったので、興味関心はもっぱらベトナム語の歴史に向いた。
19世紀後半、ベトナムを植民地にしたのはフランスで、そのフランスが入植する前までは文字は漢字と改良漢字一色だったはず。文字は知識人や上層階級だけが獲得できた道具だった。
ベトナムも多民族国家で、ベトナム語とは人口の大部分を占めるキン族の言語で公用語になっている。つまり母語は別にあっても全ての国民が学校で習う国語ということ。文字はアルファベットで声調の記号をそのアルファベットの並びにつけていて誰にとってもわかりやすい。発音記号を正式な文字にした感じ。
当時教わったベトナム語の先生はベトナム語のアルファベットのみの文字列をスラスラと書き終えてから、後から声調記号をチャッチャッと付け足していた。単語ごとに声調記号まで書くのではない。このあたりわかってもらえるかな、、。
毛沢東も建国がリアルになってきたころ、国民の識字率を上げることが急務で文字のアルファベット化も候補になっていたらしい。
で、漢字一色の国からいつ誰がこの文字を考案し普及させたのかが知りたかった。
どうやらフランス人の宣教師が考案したらしい。確かにアルファベットの文字の上に記号がのっかかる書き方はいかにもフランス語らしい。
公式な漢字の廃止は1954年なので今のベトナムの若者はほとんど漢字は知らないと思う。華僑は別かな?
では、宗主国のフランスの一宣教師が考案したものがなぜこんなにダイナミックに普及できたのか。
ベトナムの方でも漢字を改良させたチュノムという文字を考案普及させつつあったけれど、アルファベット化には及ばなかった。
とても便利で庶民にとっても負担が楽だったんだと思う。
それと古くから中国大陸とは国境を接してきて、清王朝などからも圧力があり当時の若者は中国の歴代の王朝には反発を持っていたというのもその理由であるとどこかで読んだことがある。新しい洒落た文字を受け入れていくことは隣国の漢字から距離を置くことになったのではないか。
今の見識ではこう考える。
なお、興味がある方は自分で調べてください。Wikiですら曖昧な部分があるということです。
ではでは。